ヒューラシア

human + ズーラシア

個だ!という方が個!

 みんなブログ書いてるから僕も書いてみる

楽しそうだなと思った次第。

アウトプットって大事だし楽しいもの。子供が何でもやってみたいというのはそのせいだろう。つまり僕は子供なので、書いて楽しみを享受してみようと思う。

1週間の振り返りとかしとけばいいか。

 

所得が高い人間が必ずしも賢いというわけでは無い

南青山のいけ好かない小道歩いていると、3人組のマダム達が道を塞ぎながらこちらへやってきた。

僕は道を譲ろうと端へ寄ったが、マダムらの隊列は強固なものだった。結果、僕の肩にぶつかってしまった。衝撃をいなしたので、大事には至らなかった。あの時受け流さなかったら今頃マダム達は、運が良くても複雑骨折、とにもかくにも重体だったろう。舌打ちをしながらすれ違ったマダムを助けられて、本当に良かった。お金で頭を汚染されると、舌打ちでお礼をしてしまうようになってしまうのだ。

 

かといって低所得のほうが頭を使っているのかと言われると

低所得地域はもっと大変だ。みんながみんな特殊能力を持ってる。しかし特殊能力は未完成なのにも関わらず過信しがちだ。

後ろが見えているからと過信して完璧な合流をしてくる自転車。背中を凹ませる能力があるからと過信して満員電車でリュックを背負う大学生。アストロンを使える彼は、電車中ほどへの行路を塞ぐ使命があるようだ。カビゴン並の壁力(ぢから)だ。

彼らのような特殊能力者はなかなか見分けるのには、僕のように長年の経験が必要なのだが、初心者でも見分けられる方法がある。FGOというゲームを知っているだろうか?彼らは皆漏れなくFGOをやっている。まずはFGOをインストールして、その存在を確認してみてほしい。

FGOというのは莫大な維持費がかかる。低所得者を低所得足らしめているのがこれだ。彼らには財布の余裕もなければ心の余裕もない。彼らを刺激すると舌打ちどころでは済まないので、細心の注意が必要だ。

 

全でなく個で考える

彼ら彼女らの行動は、無遠慮に言うところの迷惑だろう。迷惑というのは、誰かが不快に思うだけでなく社会の不利益になることを言おう。例えば想像してみてほしい、ゆっくり前を歩く80年物の肉片を。追い越したくても追い越せない、その狭い道を。肉片の時間と僕ら人間の時間が同等なあるわけもなく、そういった思考ができなくなってしまった、それはかつて人間だった肉片。

迷惑になる行動の原因はこの考え・配慮ができないからだろう。と、書いている自分も、そういった行動ばかりに目が行ってしまうのは、個が強調されているからだろうな。と反省。

 

 こんな感じでいいのかな?

 文章を書くのって、難しい。